« 2011年4月3日 - 2011年4月9日 | トップページ | 2011年4月24日 - 2011年4月30日 »

2011年4月17日 - 2011年4月23日

2011年4月20日 (水)

被災地に行っていま思うこと

宮城に滞在すること4日間。たくさんの出会いがありました。 

東松島市災害ボランティアセンターにいた高校生たち。彼らは毎日そこに通い。センターの運営や家の泥かき、瓦礫片づけを手伝っていました。

新高校3年生の男の子が僕に話してくれました。

「活動の時間は午前2時間、午後2時間と決められる。たった2時間しかないから被災した家の人たちのためにも2時間全力を尽くしたい。」

彼らもまた被災地に住み、少なからず被災しています。

 

石巻で出会った「ブレーメンの遊び隊」のエディさん(日本人)。ハワイ在住で家族もいるけれど、家族をおいてボランティアをするために日本に一時帰国したそうです。エディさんは子どもたちを相手に紙芝居をしながら避難所や施設を回っていました。エディさんは、僕らに子どもたちの痛みを目に涙を溜めて伝えてくれました。

 

「いま子どもたちの本来持つ「希望の光」が失われてる。子どもたちの中に光がない。だから、誰かが光をつけてあげないといけない。親はいまそれができる状態じゃないから。」

 

そして保育園で出会った子どもたち。どこかまだ心が満たされてないような、曇ってるような印象を受けたけれど、出会えて僕が幸せをもらいました。「被災地にもこんな笑顔があるんだ。」と。

保育園の先生は涙ながらに「地震のあと子どもたちのこんな甲高い声を聞けたのははじめたでした。ありがとうございました。」と感謝の思いを伝えてくれました。

若い先生たちが言っていました。

「いま私たちの生きる力はこの子たちです。」

先生たちも被災者で家が半壊したそうです。

 

彼らをいまでも恐怖におとしめる地震が心から憎くいです。子どもたちと出会い「もう再び地震が彼らの笑顔を奪わないでほしい。」と願ったその日の夜、また余震がありました。

すぐに浮かんだのは子どもたちの顔でした。

 僕らにできることはなんでしょう?

 まだ15万人の人が避難所で暮らしています。いつまでも泥だしなどの作業が進まない家、全壊した家、帰るところがないけれど学校がはじまり、避難所を出ていかなければなりません。

いったいどこへ行けば良いのでしょうか?仮設住宅もまだ10%程度しか着工に入っていません。家だけではなく多くの人が仕事を失いました。仕事がなければどう生きていけば良いのでしょうか?

 

そして、そんな苦しみの中でいつも一番最後にされてしまうのが子どもたちです。

 

僕らにできることはなんでしょうか?ひとつでもやれることがあるなら、そのひとつ、未来を信じてやりましょう。

それが「子どもたちの未来のために」土を削ることから、石を運ぶことからはじめて、CFF15年間続けてきたことだから。

一緒に考えましょう。一緒に動きましょう。

CFF 石井丈士

■□■□■□CFFでは東日本大震災支援金募金を集めています。■□■□■□■□■□

一人でも多くの被災者の力になれるよう。ご協力よろしくおねがいいたいします。

詳細はコチラまで

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

| | コメント (0) | トラックバック (0)

先遣隊報告

*一番下に報告書がダウンロードできます。

 報告が遅くなりましたが2011年4月8日(金)〜11日(月)で今回の被災地支援活動の先遣隊が被災地へ向かい無事帰ってきました。

 宮城県に入ると田んぼに津波で流されて来たゴミが多く見られました。少し車を走らせるとある一線を境に突然町が姿を変えました。土埃に包まれて現れた半壊した家々。そしてその前に積まれた瓦礫の山。ここまで津波が来て、ここから先は来なかった。そんなことが目に見てとるようにわかるような惨劇でした。

 

Cimg6046_400

そして海沿いまで行くと、そこにあるはずの家が流されていて、車がひっくり返っていて、工場はボロボロに…。ここで多くの人が津波にのまれていたと思うと言葉も出ませんでした。残された家は瓦礫の中に立ちつくし、壁が壊れ、波にめちゃくちゃにかき乱された家の中が津波の悲惨さを物語っていました。心から311日のそのときこの家の中に誰もいなかったことを願っていました。

 宮城では複数のまちを視察しました。中でもひどかったのが石巻市と女川町。石巻市の惨劇には目を疑い、声を失いました。どこまでも続く瓦礫に埋もれた町、ポツポツと家が立ち並んではいるもののどの家も1階は津波でめちゃめちゃにやられていました。
Cimg6083_400_3
Cimg6111_400

Dscn9422_400
漁港であるがゆえに町にはたくさんの船が打ち上げられていました。これだけ大きい船が津波と共に町を襲ったそうです。

石巻市の隣にある女川町。ここは「これ以上の被害があるのだろうか」と思えた石巻よりも見るからに被害がひどく、行けども行けども原野のごとく跡形もなく壊れた家々が広がっており、まるで爆弾が落とされたかのように町まるごと津波に奪い去られていました。

Cimg6131_400

町全体が津波に飲まれた女川町。

 

 つい数時間前までは普通にあった町。しかし地震が起こり、津波が町を襲った。本当にわずか数時間で町はすべてを失い、人々は家も家具もすべて失ってしまった。至るところで遺体が見つかり、家族や友人を失った人も多くいるでしょう。

「それでも町は生きていました。」

「人々は前を向いていました。」

 おそらくたくさんの絶望を乗り越えて、いまもある不安や困難と向き合いながら、前を向いていました。笑顔がありました。

 滞在中石巻災害ボランティアセンター主催の「まちなかスマイルプロジェクト」というイベントがありした。このイベントにはNGO/NPO、企業、個人ボランティアそして市民まで900人がこのプロジェクトに参加し一斉に町の片づけを行いました。

 Cimg6136_400

Cimg6139_400

石巻市のとなり町の東松島市では災害ボランティアセンターで高校生たちが復興活動に携わっていました。彼らは学校がまだはじまらないということで毎日災害ボランティアセンターで手伝いをしているそうです。

彼らももちろん被災しています。でも、明るく笑顔の絶えない彼らの姿はボランティアセンターや職員の人たちボランティアの人たちに元気を与えていました。

子どもたちの笑顔もありました。

Dscn9395_400

4月1日から再開したという保育園。被災地にもこれだけの子どもたちの笑顔に出会えたことに心から救われました。

被災地で出会ったのは絶望と希望。そしてその希望の中で見え隠れする不安や困難。でも、それでも前に進む人たち。

そこには僕らが力になれること、やれることがたくさんありました。そして、それ以上に、心から彼らと共に生きいきたい。そんな思いが生まれた。視察でした。

先遣隊の詳しい報告は以下からダウンロードしてください。

「sennkenntaihoukokusyo.doc」をダウンロード

CFF 石井丈士

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

CFFでは東日本大震災支援金募金を集めています。
 
一人でも多くの被災者の力になれるよう。ご協力よろしくおねがいいたいします。
 
詳細はコチラまで

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年4月3日 - 2011年4月9日 | トップページ | 2011年4月24日 - 2011年4月30日 »