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2011年5月29日 - 2011年6月4日

2011年6月 4日 (土)

避難所を訪れて・・・

 

こんにちは。

 

第6陣で被災地支援ボランティアへ参加したあかりです。

 

先日のブログにも書いたように、第6陣では、2日目の5月22日(日)に、下二郷コミュニティセンターという避難所で活動しました。

 

その活動のメインでもある炊き出しを行う際に、皆様からご寄付いただいた支援金を使わせていただきました。お礼の挨拶とご報告が遅くなり、大変申し訳ありません。改めて、お礼申し上げたいと思います。ありがとうございました。その時の詳しい様子を、想いをもってご寄付いただいた方にも伝わるよう、写真と文章で綴っていきたいと思います。

 

東松島市ボランティアセンターから車で約30分のところに、下二郷コミュニティセンターがあります。宮城県遠田郡美里町という所で、東松島市からみると、北に位置します。美里町には、東松島市からの避難受入先が二か所あり、下二郷コミュニティセンターと、南郷体育館です。下二郷コミュティセンターには約50名、南郷体育館では約150名の方が暮らしています(5月中旬現在)。

 

                             

 

一番左側の建物が下二郷コミュニティセンター

 

下二郷コミュニティセンターに暮らす人々は、津波により全流失した地区から来ていて、多くの人が家を失っています。CFF被災地支援長期ボランティアスタッフであるたけしによると、それまでの炊き出しは2回、子どもへのアクティビティは1回と、他の避難所に比べて少なめだったそうです。他の避難所に比べれば人数の小さい避難所こそ支援が届きにくいと考えられます。

 

このような経緯から、下二郷コミュニティセンターの活動が決定しました。出発前に第6陣メンバーで何度か話し合い、炊き出しメニューや子どもとの遊びを計画しました。炊き出しのメニューは、いつもお弁当と菓子パンを支給されている避難所の方々に、「温かいものを食べてもらいたい」ということで、彩りも良い「三色丼」と、「豚汁」に決定しました。子どもとの遊びは、CFF被災地支援の中でも子どもに重点をおいて支援を考えている「子ども隊」のみんなが作ってくれた「割りばし鉄砲」や長縄を用意して行きました。

 

当日避難所を訪れてみると、子どもたちはほとんど外出中でした。子どもたちが帰ってくるまで待機することにして、ここに暮らす方々にお話を伺ったり、避難所の中の様子を少し見させていただいたりしました。

 

この避難所では、50人を4班に分け、寝るスペースもその班ごとに区切られているようでした。もちろんイスやテーブルが一人ずつにあるわけではないので、お年寄りが二人並んで壁にくっつけてある長テーブルに横に並んで食べる様子を拝見し、「向かい合って座って食べる」という当たり前のような空間をつくることが難しい状況に、改めて気付かされました。

 

雨が降っていたので、いつもは会議などに使用している中のスペースをお借りして、子どもたちが来たらすぐに遊べるように、準備をしていました。少しすると、子どもたちがぽつりぽつりと帰ってきます。さっそく1人の男の子がその部屋にやってきてくれました。「割りばし鉄砲作ってみる?」というと、「うん!」という返事。ゆきは、基本的な割りばしの接続の仕方を教えると、最後まで作り方を教えずに、お手本を元男の子にみせていました。男の子は考えながら、器用に割りばしを組み立てていきます。その子が作っている途中に、他の子どもたちも帰ってきて、段々混ざってきてくれました。みんなお手本をみながら、自分で考えて作り上げていきます。

 

完成した子どもたちは、的(これも子ども隊が作ってくれた手作りのもの)に向かって輪ゴムを打ちます。割りばし鉄砲は輪ゴムと割りばしでできるものです。

 

一番最初に出来上がった男の子は、輪ゴムがなかなか鋭く飛んでくれないので、改造を何回も繰り返して、ついにまっすぐピューン!と飛ぶ割りばし鉄砲を作っていました。(すごい!)

 

最初は全然手を出さなかった弟も、それをみて割りばし鉄砲にハマって、次はみんなで打ち合いっこが始まりました。その他にも、ゆきのピアノ伴奏に合わせて女の子がメロディー弾いて連弾してみたり、折り紙を折ってみたり、遊びを通して子どもたちも段々打ち解けていってくれました。

 

雨が上がったので、外に出て遊びました。外で遊べるスペースは、避難所を出てすぐの大きな駐車場です。近くに多きな公園もありますが、そこでは少年サッカーの練習が行われていました。

 

シャボン玉を割りばし鉄砲で撃つ!と行って自転車に乗りながらカッコよく打つ少年。しかし当たらず・・・

 

 

 

2歳の男の子はシャボン玉が地面に張り付いたのを踏むのがとっても楽しそう。

 

 

 

みんなで長縄をしたり、鬼ごっこをしたりして、元気に遊びました。

 

晴れて、よかったね。

 

14時になったので、ご飯の準備をすることにしました。「ご飯の準備をするから中入るね~」というと、「僕もやるー」「私もやるー」と子どもたちが手伝いに来てくれました。50人分のお米を研ぐのは流石に初めてだったみたいですが、頑張って研いでくれました。大根の川をむいたり、生姜をすったり、にんじんを切ったり、いろんな手順において、子どもたちが手伝ってくれました。料理をしている間に、「なんか懐かしいな~」とつぶやく18歳のお姉さん。家で料理をしている時のことを思い出している、そんな雰囲気でした。料理をしながら、他愛もない話をしました。何かしている時だからこそ出てくる素直な感情があるな、と感じました。

 

そぼろに生姜をいれようか迷っていると(小学生もいるので)、小学生のみんなが口をそろえて「生姜入っている方がいい!」「入ってないと変って言われるー」と言います。地域によってかどうかはわかりませんが、ここに暮らす子どもたちは生姜を早くから食べられるようになるみたいです。また、私たちが買ってきたお米の袋をみて、「今まで自分たちの食べるお米は自分で育てた。買ったことなんてなかった。」と1人のお母さんがおっしゃっていました。

 

16時頃完成して、班の代表の方がお盆やお鍋を持ってきてくれました。配っていると、「おいしそ~う」の声。少しほっとする思いでした。とは言っても、下準備から味付けまで、ほとんど子どもたちがやってくれました。おかわりにも来ていただけて、豚汁も三色丼も全部食べていただけました。あまったご飯を手でほおばる子どもたちの姿は、なんとも愛おしく感じました。

 

 

 

完成した三色丼。炒卵、そぼろの味付けは子どもたち。

 

配り終えた頃、ちょうどVCの依頼の元、作業していた班の4人が避難所へやってきました。ご飯を食べ終えた子どもたちと一緒に、また折り紙をやったりピアノを弾いたりして遊びました。

 

 

 

「米軍からもらった」という厚い折り紙をもってきて、

 

カニやシカはお花など、様々な折り紙に挑戦中。

 

ここに暮らしている避難所の子どもの数は10人以下です。高校生以上が2人と、あとは小学生と小学生以下の子どもたちです。兄弟ではなくでも仲が良く、年上の女の子は、小学生の子の面倒をよくみていました。

 

私たちが帰る時には、それまで避難所の生活スペースに居た方たちまで出てきて、見送っていただきました。避難所で暮らしている方々にしたら、私たちと過ごした時間なんて、ほんの少しなのかもしれませんが、一緒に遊んだ子どもたち、お話を聞かせていただいたお母さんたち、洗い物を一緒に手伝ってくれたおばあちゃん、同じ時間を共有したことは、私たちにとって忘れることはできないものとなりました。

 

この活動を通して、当たり前ですが、地震から間もなく3ヵ月が過ぎようとしている今でも、避難所で暮らしている人々が存在するという事実と、様々な人の支えや気持ちがあってこの避難所が成り立っているということ、また、この避難所に暮らしている子どもも、大人も、いつかはここを出て、それぞれが「生きていく」時がくるのだということに、改めて気付かされました。

 

「炊き出し」という名の元おこなったご飯作りも、今回はきちんとしたキッチンを借りて、炊飯器もあって、子どもたちも手伝ってくれて、避難所に慣れてきたタイミングでの「炊き出し」。普段食べられるものは、お弁当やパンばかりに限られており、温かいご飯や新鮮な野菜が足りていないことは明らかであるけれども、今後もこのような「炊き出し」が必要なのかどうか。今回の活動を通して考えさせられました。

 

また、子どもたちは「お泊り気分」で友達と同じ家に帰れるのが嬉しそうでしたが、お父さんやお母さん、お年寄りの方々にとっては、プライベートのない空間に疲労を感じている方も少なくないことが伺えます。子どもたちは学校も始まり、日常的な空間を取り戻しつつある中に、私たちのような「ボランティア」が訪れることによって「次はいつ来るの?」という想いがこみ上げ、別れの辛さを感じていたようです。

 

本当に「寄り添う」とはどういうことなのか。今後の活動に向けて、下二郷コミュニティセンターでの出逢いを大切に、「共感したい」というただ無責任な気持ちではなく、被災地にいる人々が生きている時を、一緒に生きるという意味で、本当に大切なものを考えていきたいと思います。

 

大場あかり

 

 

 

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2011年6月 2日 (木)

第6陣ボランティアの感想

 

第6陣ボランティアの感想です。

 

先に載せた「第6陣活動報告」と合わせてご覧ください。よろしくお願いします。

 

◆みちか

 

3日間の作業を終えて思ったことは、ただただもっと多くの人に被災地に来てほしい、そしてボランティアワークをしてほしいということです。‘被災地に行くから分かることがある’とか、‘勉強や経験になる’とは軽々しく言えません。‘行ってよかった’と、私は簡単に言うことはできません。ただ、一人でも多くの人が行くことで確実に復興に近づく。そのことだけは言えます。自分で行くと決めたのに、被災地に行くのがすごく怖かった。津波にのまれ、まだ片付いていない地域は本当に広くて、ここで多くの命が失われたのだと考えたら凄く苦しかった。けれど、その地域で今なお生きて、生活している人がいる。

 

迷っているなら行ってほしい。迷っていなくても、試しに行ってみるかという気持ちでもいい。一人でも多くの人の力が必要だと強く感じました。

 

◆しんぺー

 

今回、先遣隊以来、被災地を訪れた。そこで率直に思ったのが、ずいぶん片付いているな、復興に向かってどんどん進んでいるな、という印象だった。

 

現地で行った主な活動が個人宅での泥出しだったが、どの家も比較的家の中の片付けは終わっているように見えた。畳や床は剥がされ、住める状態ではない家も多かったが、家の中の瓦礫と化したものは、片づけられていた。

 

今では瓦礫になってしまったが、それまでは、それは生活の一部にあったものや、思い出のものであったのだから、ここで、瓦礫という言葉を使うのは適切ではないかもしれない。

 

そのようなものたちは比較的片づけられた家で、僕たちは泥出しをした。初日は天気も良く、気温も高かったので、体力の消耗が激しかった。それに加えて、あたり一面に広がる腐敗臭。まだこの時期だからこの程度かもしれないが、夏になり暑くなってきたときに衛生面や、活動環境の悪化が心配される。

 

また、今回ちょっとの不注意からケガをさせてしまったことがあり、大きなに事故につながらなかったからよかったものの、活動をする上で、もっと自覚を持って取り組まなければならないと多々反省することがあった。

 

震災から約2カ月経ち、現場も刻々と状況が変わるため、やはり現地に行かないとわからないこともたくさんあった。今後関わり方を、改めて考えさせられる機会にもなった。

 

◆きさき

 

今回、東北に震災後初めて行ってみて、私は行く前と比べてたくさんのことを得ました。

 

2か月以上たったのに、車の外を見ていると、壊れてる家、がれきなどが果てしなく続いていて、、、、

 

本当に長期的な支援が必要だと感じました。しかし、たくさんのことを知れたけど、まだまだ

 

知らないことばかりだと思いました。

 

1日目に道の途中で周辺に住んでいる住民の方が話しかけてくれて、

 

震災の時のことを話してくれました。途中途中にみせる、遠くを見たような顔がわたしは

 

忘れられません。また、出会った子どもたちの笑顔、大人達の姿も。

 

たった、3日間しかいなかったけど、来たことに意味があって、その中でも出来る事を

 

やっていこうと思いました。

 

実際いってみて、本当にいって良かったと思いました。

 

行ってみなきゃわからないこと、感じられないことがたくさんある気がしました。

 

そして、必ずまたいつかいって出来る事をしよう。と思いました。

 

◆くろちゃん

 

私が行って思ったこと。それは「もっといろんな人に被災地に行って欲しい!」です。

 

私たちを必要としてる人達がたくさんいます。

 

心から必要としてるとしてる人がいます。

 

行こうかなって迷ってるなら是非行って欲しいと思います。

 

現地に行かないでモヤモヤした気持ちが現地に行けば晴れるとは決して言えません。けれど、自分なりの答えが見つかるんだって、今回改めて感じました。

 

東北に行く途中のパーキングエリア、また現地で目にした『頑張ろう!東北!』の文字。

 

私はあの言葉に何度も勇気付けられました。

 

今回行って感じた事や実状をたくさんの人に伝えていきたいと心から思いました。

 

また、フィリピンやマレーシアのキャンプとは違うけれど、今回第6陣で参加させて頂き本当に素敵な方々と出会えた事に感謝します。

 

本当にありがとうございました。

 

これから行く方もケガや体調には十分気を付けてほしいと思います。

 

本当にありがとうございました。

 

 

 

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第6陣活動報告

こんにちは。CFF被災地支援第6陣ボランティアとして参加しました、大場あかり(pst16,17L)です。

大変遅くなりましたが、第6陣の活動報告をさせていただきます。

少し長いですが、最後まで目を通していただけたら幸いです。

【第6陣】

2011年5月21~23日

メンバー:くろちゃん、みちか、しんぺー、きさき、さおり、まちゃ、たつや、あかり

長期ボランティアスタッフ:たけし、ゆき

1日目(5月21日) 担当:まちゃ

午前の作業は雨で中止になったため、二台の車で被害の大きかった海岸付近へ行きましたたくさん家があったのに、どこも住んでいませんでした。

一階部分がえぐられた家、まるごと流され、今は土台しか残っていない家。きっと数ヵ月前まで、たくさんの『人の営み』がここにはあったはずなのに、目の前には壊れた家具、泥まみれの車椅子やぬいぐるみがあることがただ、ただ、悲しかったです。

午後はボランティアセンター(以下VC)から受けた依頼のもと、車で被害のあった家に行き、その家の床下と庭にたまった泥をかきだしました。場所は東松島市新東名で、作業時間は12時半から15時半頃まででした。泥かきをしながら、時々出てくる誰かのテストやファンデーションを見て悲しくなることがありました。でも9人みんなでワークキャンプみたいに、いろんなことを語り合いながら作業していたら、笑いもあるあっという間の時間でした。私は、午前中、被害の大きさを見て悲しくなってしまうだけでした。午後の作業も、土の中から誰かが使っていただろうものを見つけて悲しい気持ちになりましたが、一生懸命シャベルを動かすことで、悲しみの上に『がんばろう』というキモチを積み重ねていけました。私たちがしたことは、今回の東北地方全体の被害からしたら本当に小さな活動です。でも、泥のたまった家が『人の営み』を取り戻すのに、少し前進できた気がします。

2日目(5月22日) 担当:くろちゃん・あかり

2日目は2チームに分かれて作業しました。

①VC→午前作業→午後作業→避難所→宿泊所

②VC→避難所で子どもと遊ぶ・炊き出し→宿泊所

まず、①のVCの依頼を受けて午前・午後と作業をしたチ-ムの活動報告です。

<午前作業>

私たちは、新東名の住宅街のある一軒のパーマ屋さんを経営していらっしゃるお宅へ行きました。そこは、お父さん、お母さん、娘さんの3人家族でした。私たちが到着すると、お母さんが「ありがとうございます」と温かくお出迎えして下さいました。笑顔がとても印象的な、とても素敵なご家族でした。ここでの主な作業は、泥やヘドロを掻き出し、それを土嚢につめて道路付近に出すことです。また、庭の土が盛り上がってしまっていた為、平にする作業も行いました。庭の状態は芝生が土やヘドロで埋もれてしまっている状態でした。 この午前中の作業は、しんぺー、達也さん、みちか、くろちゃんの他に大阪から1人でボランティアで来ていた男性1人と、お父さん、お母さん、娘さんの計9人で作業を行いました。作業をしていると、土の中からガラスがたくさん出てきました。他にも写真や歯ブラシ、ゲーム機など普段生活で使う品がたくさん出てきて、それを見た瞬間胸がとてもが苦しくなりました。笑顔が素敵なお母さんは、被災で自分が体験した出来事を話してくれました。しかし、お母さんは「こうやって話す事が出来る様になったのは、本当に最近の事で、少し前まで1人になるのも怖かった。けれど家族が気使ってくれ、私の側にいてくれて、本当に感謝している」と話していました。またそのお母さんは、被災に合ったとき、肩の上まで水がきていたそうです。そこで救助を求める際、防水用の携帯電話を持っていたのでそのライトをチカチカさせ助けを求めたそうです。

実際に被災地の方から生の声が聞く事ができ、私にとって絶対に忘れることが出来ない日となりました。帰って来た今でも、あのご家族の笑顔が頭に焼き付いています。

<午後作業>

午後は東松島市矢本での作業でした。そこには78歳のおばぁちゃんが暮らしていました。平家の立派なお宅でとても広いお庭もありました。そのお庭で自家菜園をし、自営業で営んでいたお店を経営していたそうです。しかし、そのお庭は全てヘドロでやられてしまい、掘ると真っ黒なヘドロが出てくる状態でした。ここでの主な作業はお庭のヘドロ出しでした。そして、私たちが何よりビックリしたのはおばぁちゃんです。作業を開始すると私たちと同じ作業を坦々とこなしていきます。5キロ以上ある土嚢も持ち上げてしまいます。その時はそのすごさに圧倒されていましたが、今考えると、私たちが来てくれたからって無理をしていたのではないかと、申しわけない気持ちもします。 おばぁちゃんは津波が押し寄せて来た時の事を「真っ黒い屏風が来たみたいだった」と表現していました。おばぁちゃんの趣味は習字で、家の中に飾ってあるおばぁちゃんが書いた作品を見せて下さいました。家の中を見た瞬間、130cm程の高さまで水が来たと思われるシミも残っていました。それを見た瞬間、津波の凄まじさが恐ろしい程伝わって来ました。お庭はヘドロだらけで、掘っていると普通に息をするのが苦しい程臭かった時もありました。

2時間と決まっている作業の時間は、本当にあっという間に過ぎてしまいます。今回のお庭の作業もほんの一部しか出来ませんでしたが、正直、「まだ出来るのに!」と思った時も何度もありました。

別れの時、「ありがとう」「ご苦労さま」「また来てね」って何度も言われました。そして最後みんなでおばぁちゃんと肩を抱き合いました。おばぁちゃん、元気かな?と今でもふと思い出します。おばぁちゃんの無事と健康を心からお祈りしております。

次に、②の主に避難所で活動した班について報告します。朝は全員でVCに集合した後、泥かき作業班を見送って、出発までしばらく待機していました。その時、前の日に出会った移動動物園の方たちが、今日はこのVC隣の避難所(東松島市コミュニティセンター)の近くで動物園を開くということで、その方たちやその避難所の子どもたちと共に動物に触れ合っていました。小さい子どもからお年寄りの方々まで、動物たちに直に触れて、嬉しそうにしていました。時折自衛隊の方の姿も見えて、なんだかあたたかい時間が流れているようでした。

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最初は外からビクビクみていた子どもたちも、、

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段々人が集まってきてワイワイ。

中に入って、全部の動物にタッチ!ひよこやヤギを抱える子どもたちはとっても楽しそう♪

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ひよことおばあちゃんとお兄さんとまちゃ。

移動動物園の方々は普段は熊本県で活動しているらしいのですが、今回の震災を受けて、様々な地域をまわっているそうです。気さくなお兄さん?(笑)たちとの出会いは、新鮮で、心に残るものとなりました。こんな些細な出逢いでも、子どもから大人までどんな人たちにとっても、支えになり得るものだな、と思いました。それから、人以外の生き物(今回は、ポニー、ロバ、ヤギ、ブタ、ウサギ、ヒヨコ、カメでした)は、人がもつ以外の力をもって人の心を癒してくれるんだな、と実感しました。

お昼近い時間になり、東松島市に住んでいた方々が今避難している「下二郷コミュニティセンター」という避難所へ向かいました。買い出しを前日に済ませ、到着後は避難所の方々のお話を聞いたり、普段の様子をうかがっていました。段々子どもたちが避難所へ帰ってきたので、みんなで遊び、その後は一緒にご飯を作りました。作ったものは、三食丼と豚汁です。ちょうど配り終わった頃に泥かき活動チームが合流し、その後も子どもたちと遊びました。過ごす時間こそ短かったですが、子どもたちとの遊びや、炊き出しの活動を通して、様々な気づきを得ました。この避難所での活動については、次のブログで詳しく報告させていただきたいと思います。

3日目(5月23日) 担当:さおり

二晩お世話になった宿泊施設グランディ21を後にし、ボランティアセンターに向かいました。この日紹介されたお家は石巻港に近い地域にありましたが、幸いまだ建てて間もないとみられる家自体に目に見える損傷はあまりなく、床上15cm位の浸水被害だったとのこと。この日は庭の泥の掻き出しを行いました。庭がとても広く終わりの見えない現場でしたが、人の通る道や植木の周りを中心に2時間みっちり作業を行いました。さすがに3日目ともあって作業効率よく、チームワークもばっちりで行えたと思います。

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この日は東京に帰る日だったため、午前でワークを終了し、現地スタッフのたけし、長期ボランティアのゆき、帰りの時間が違うたつやさんとお別れをして、残りのメンバーで石巻市・女女川町を回って仙台市へと帰りました。石巻や女川は被害のひどい地域としてよくメディアでも報道されていましたが、自分たちの目で目の当りにする光景に皆沈黙してしまいました。

家の土台から根こそぎ倒れている家、車の上に重なり合うようにして乗っかる車や瓦礫、探し人の張り紙、道端に落ちているぬいぐるみ、かつて家があったと思われる場所で物を探す人々、物々しく走る自衛隊の車。そして何より加工工場の食品や水など様々なものの腐敗した臭いがひどく、車の中に充満してしまうほどでした。こうした臭いやその地に漂う異様な雰囲気は、東京でテレビを見ていても決して伝わることのないもので、東京に帰ってきた今でも脳裏に焼き付いて離れません。

石巻の、日和山公園という公園に寄りました。この公園は石巻港が見渡せる高台にある見晴らしの良い公園で、津波が来たときはみなこの公園に逃げてきたということで報道されていたこともありました。津波に町全体を飲み込まれた石巻の町は、もう町と呼んでよいのかわからないものでした。

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1人のおばあさんが、連れ添った女の人に話している言葉が耳に入ってきました。「あのあたりにはね、行きつけの病院があったの。あそこはね、新しくできた公園だったんだ、今はもう、置いてあった自由の女神像しか残ってないけども・・・」町の原型を留めていない町に、おばあさんの生活は2か月前まで確かにありました。津波は、かつてそこにあった人々の営みを一瞬のうちに奪い去ってしまいました。

日和山公園で町を見下ろしながら、この町で津波にのまれて命を失った人、生活を奪われた人、そうした人々が不幸で可哀想だったのではなくその逆で、こうして今津波に流されず日和見公園に立っている自分が幸運だということを思いました。自分はまたま地震や津波の被害にあわなかっただけなのではないだろうかとすら。だからこそ、関係ないこととしてはすまされないのです。帰ってきて、同じ日本にありながら震災のことなど過去のことのように忘れてしまっている東京の町に憤りを感じると同時に、自分にはこうして帰る場所があって、3月11日以前と変わらない暮らしができていることへの申し訳なさ、そして日常に紛れて自分自身も忘れてしまうことへの焦りを感じました。

Photo_17

たった3日間で自分には何ができたのかということ、そこでできたつながりのこと、これから先どのようにしてこの震災と向き合い行動していくのかということ、そうしたことに答えがでず、もんもんと悩む日々ですが、決して満足し忘れることなくこの悩みに向き合い続けていこうと思います。

<くろちゃんより3日目の感想>

とても印象的だったのが、日和山からの景色です。本当に、爆弾でも落とされたかのような景色で言葉が出ませんでした。「みんなこの日和山に避難しに来てたんだよ」と聞いた時、想像してしまって、この景色を見たときどう思っただろう、と考えてしまい、胸が苦しかったです。石巻に行って驚いたのは、破壊され全壊した家々もそうですが、なんといってもものすごい臭いですこれはテレビの映像からは味わえない、石巻の現状を知れた瞬間でした。

以上、第6陣の報告でした。

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2011年6月 1日 (水)

第7陣 活動報告

 

mst6のきったんです。第7陣の活動報告を簡単にします!

 

7陣は、528日・29日の2日間、けんじ(m12,71,m16L)ときったん(mst6)の2人で行ってきました。

 

以下、主な活動です。

 

528

 

 午前中は、航空自衛隊松島基地の近くのののののののおのdd      とあるお宅の家具移動。この家は、津波で床上が浸水してしまったので、床と畳を張り替えたそうだ。その時に、家具を家の外に出し移動したので、家具が位置がバラバラだった。なので、家の方に指示をいただきながら、家具を配置し直す、というのが依頼された内容だった。

 

 まずは、庭の前の網戸と窓をを外して、庭に敷いたブルーシートの上に家具を一つ一つ家から出していった。タンスや棚には中身が入ったばかりのものもあったので、かなり重たかった。また、おそらく以前に家具を動かした時のものなのかもしれないが、家具には砂が付いており、一つ一つ雑巾で砂を落とさなければならなかった。それから、庭に出した家具を家の方にどこに置くか指示してもらったのだが、その日は娘さん一人だったので、家具のあった場所などが正確にわからず、とりあえずしっくりくる場所に並べる、という感じだった。これは午前・午後を通した依頼だったが、午前中だけで終わってしまった。

 

 午後には、釣具屋さんの中の味噌蔵にたまっている泥をかき出す作業だった。住宅ではなくお店だったので、ボランティアの優先度は低く、しかもその味噌蔵は日陰にあったため、震災後からほぼ手をつけられる事なく、泥が溜まっていた状態だった。この釣具屋の隣に住む、依頼された方の家は、津波が150cmぐらい押し寄せたために住む事が出来なくなってしまい、今はマンションを借りて、そこから家の片付けに通われているようだった。

 

 泥かきは、ただ単純に土の「泥」をかき出すものだと思っていたが、実際には「ヘドロ」をかき出す事で、ヘドロは寒天のような感じでしかも粘着性が強く地面に張り付いて、密度も高いので土よりも重たかった。特に今回の場合は、日陰で日に当たらず、あまり乾かされいなかったので、水分も含んでいて、かなりの重労働だった。また、臭いもきつく、着ていた服も臭くなるほどで、家の人だけでは手をつけられるものではない印象だった。

 

529

 

 この日は朝からやや強めの雨が降っていたため、矢本のボランティアは活動中止となった。雨にも関わらず、朝から多くの人がボランティアセンターにやってきていたが、肩を落として帰っていった。僕らは、何か仕事はないかたけしに頼んだところ、赤井というところでの仕事を見つけてもらい、そこで活動することとなった。

 

 仕事内容は、ボランティアセンターが使っていたJTの施設から今度引っ越すため、その施設内の側溝に詰まった泥かきをすることだった。側溝が泥で詰まってると雨水などが流れ込まず、水たまりがたくさんできてしまう。その施設内だけでなく、町の中の側溝にはほとんど泥が溜まっていたので、水たまりは多かった。まずは住宅などの泥から除去していっているのだが、少しずつ側溝にも着手できるようになってきており、これは徐々に片付けが進んでいるあかしでもあるという。

 

 基本的に午後まで泥かきをずっとしていたが、途中で依頼が入り、一人で暮らす高齢者の方の家の庭に積まれた砂利を移動させた。この家も1階が浸水してしまい床が抜け、1階は立て直さなければならないそうだ。しかし、限られた補助金と年金での予算の中では、しっかり立て直すことは難しく、応急処置程度といった感じになってしまいそうだという。

 

 以上が、2日間での主な活動内容です。

 

被災地支援にいった感想は、率直に行って良かったというのが一番大きいです。被害の様子は、テレビや新聞などメディアを通して見たり聞いたりしていましたが、どこか自分とは別の世界で起きている事のようにも正直なところ感じてしまっていました。しかし、実際に自分で現地に行ってみると、自分が今地に足をつけて立っているこの場所が、被害にあってしまったリアリティをひしひしと感じられました。実際にそこで暮らしている人と会い、話すことで、その人たちの生活の様子が見えてきて、単純に他人事で済ませられずにはいられない感覚になりました。東京にいるとできることはやはり限られてしまいますが、東松島で出会った人が今も同じ時間を過ごしている事を感じながら、日々を過ごしたいと思います。

 

以下はけんじの感想です。

 

被災地を訪れてみて、それまで被災者を一括りに考えていた自分に気が付いた。
そこにいたのは、自分たちと何も変わらない、東松島市矢本町の誰々さんだった
。それぞれが抱えている事情は様々で被災者を一括りにはできない。
被災地までの距離の問題以前に、自分と被災者との間に距離があったのかもしれ
ない。
復興まで果てしない道程を感じてしまう現状を目の当たりにしたけれど、みんな
で一緒に、一歩ずつ進んでいきたい。


 

 

 

 

 

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