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2011年6月26日 - 2011年7月2日

2011年7月 2日 (土)

第11陣活動報告

 

11陣に参加しました、ゆう(65,67)です。

 

 

 

11陣の日程は6/256/27

 

 

 

参加メンバーは10人。【さあや、ゆか、あみ、まっき~、ゆり、みえ、ゆう】それから、CFF理事のおさむさんとおさむさんのご友人、また私の母も一緒に参加しました。

 

 

 

CFFの被災地支援リーダーであるたけし、たけしの後任のゆき、そして2週間ボラセンの長期スタッフとして活動していたかがめぐも一緒に活動しました!

 

 

 

                             

 

 

 

~1日目~

 

この日東松島のボラセンを通じて、ボランティアに参加した方の人数はなんと【1000人】を越えたそうです!!GWに来た時よりも圧倒的に人数が増えていて、とても嬉しく思いました。

 

 

 

【午前、午後:床下の泥だし】

 

午前中に家の中の泥だしは完了したので、午後は裏庭の泥だしを行い、一通りの作業が無事に終わりました。

 

依頼者の方は津波の被害にあわれた家を取り壊すのか、壊さないのか、判断に時間がかかっていたとおっしゃっていました。

 

可愛い犬を見せてくれたときは「この犬のおかげで、震災のあとも私は元気でいられる」とおっしゃっていました。

 

また、震災以降、ヘドロの匂いなどの影響からか、体調がずっと優れないとおっしゃっていたのが、とても心配でした。健康面にも影響が出てしまっているので、ほんとうに一刻も早く町をきれいにしなきゃいけないと思います。

 

 

 

【午後:七夕のかざり付け→被害の大きい地域の見学】

 

午後は、もうすぐ七夕ということもあって、ゆかが東松島の人のために何かできないかと、持ってきてくれた笹の葉に飾り付けをしました。折り紙を使ってたくさんのデコレーションをした笹の葉をボランティアセンターの本部の中に飾っていただけることになりました♪

 

 

 

地元の方や、ボラセンのスタッフの方、ボランティアとして他県から東松島に来ている方など沢山の人が短冊に願い事を書いてくれました^^

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

みんな願い事が叶いますように…☆

 

 

 

 

 

そのあとは、東松島でも被害の大きかった地域である【大曲浜】と【野蒜】を訪れました。そこには、まだまだ手つかずの瓦礫が広がっていました。ぐちゃぐちゃになってしまっている家の壁にスプレーで「取り壊し不可」と書かれていたのが印象的でした。どんなに家が壊れても、住んでいた家、また故郷に対する想いの強さを感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆか→「大曲浜の光景が一番心に残りました。何カ月たっても被災した人はこれからもずっと震災と向き合っていかなきゃいけなくて私にはそのきもちが計り知れなくて自分にできることをこれからも考え続けていきたいとまた改めて思いました。」

 

 

 

~2日目~

 

【午前:床下の泥だし】

 

この日も泥だしの作業はすべて完了。やはり10人いると、作業がスムーズに進みます。

 

 

 

最後に依頼者の方が、家を去る私たちに向かって、長い時間、深々とお辞儀をされていた姿がなんだか忘れられません。

 

 

 

【午後:写真の整理】

 

午後は雨の影響でボランティアセンターからの依頼の活動は中止。そのため、津波で流されてしまった沢山の写真を整理するお手伝いをしに行きました。

 

小さな集会所に行くと、そこには沢山の思い出の詰まった写真がありました。ヘドロにまみれてしまって、汚くなっている写真もあり、なにも見えなくなってしまった写真は、処分するとのことでした・・・。少しでもみえる写真は、ファイルに整理しました。

 

 

 

そこの集会所での写真の整理は4月から行っているとのことでした。しかし、集会所に訪れて、実際にご自分の写真を持ち帰る方はそう多くはなく、集会所が市の中心部から離れていることもあり、まだまだ集会所の存在を知らない方も多くいるとのことでした。

 

 

 

4月の当初から毎日写真の整理にきている方もおり、その方は「家にいてもなにもすることがないからね~」とおっしゃっていました。あまり深くは聞くことができませんでしたが、ひとりで暮らしているお年寄りの方で、家の畑が津波の影響で使えなくなってしまったとおっしゃっていました。

 

 

 

集会所で写真の整理をしていた方たちは、一軒一軒回って泥だしを行うボランティアとは違い、「ありがとう」と表だって感謝されることが、もしかしたら少ないかもしれません。もしかしたら、整理された写真を受け取った方も、「誰が写真を整理してくれた」なんて分からないかもしれないし、それはどうでもいいことかもしれません。でも、それでも毎日ひたすらに写真の整理をしていることにとても感銘を受けました。

 

 

 

私自身もふだんの生活で「ありがとう」を言われないと、どうしても頑張れない時があります。

 

 

 

だけど、大切なのは、そういうことではないことを改めて感じました。「誰にみられることがなくとも、ただただ誰かのために」フィリピンでも学んだこのことを、東松島で改めて感じることができました。

 

 

 

~3日目~

 

【午前:窓ふき、床そうじ】

 

依頼者の方はとても気さくなおばあさんで、沢山お話をてくれました。地震があった当時の状況を伝えてくれたり、ご自慢の庭を案内してくれたりもしました。私たちのことを自分の子どものように歓迎してくれて、「東松島に来る時は必ず戻ってきてね、うちに泊りなさい」とまで言ってくれました。初めて出会う方なのに、どうしてそんなに優しくしてくれるのか、とても不思議で、でもとても温かい気持ちになりました。

 

 

 

【午後:泥だし班と宿探し班にわかれる】

 

午後は、現場班と宿探し班に分かれて活動をし、私は宿探しに行きました。これからCFFの被災地支援を行う際の宿となる場所です。宿を探していると、ほとんどの宿が私たちのようなボランティアや、被災地で活躍する大工さんの方で連日満室の状態でした。

 

 

 

しかし、一軒目の宿で、すごく親切な方にお会いすることができました。部屋は満室の状態だけれど、ボランティアで来る私たちのために、空き部屋を特別に貸してくださるとのことでした。

 

東松島に来て何度も何度も”人の温かさ”に触れています。そのたびに涙を流すことが多かったです・・・

 

 

 

【夕方:避難所で足湯のサービス】

 

この日、私はGWの第3陣のときにも訪れていた避難所に再び伺うことができました。

 

 

 

その日は6名のお年寄りの方がおり、GWに訪れたときと比べるとかなり人数が少なくなっている印象を受けました。私はおばあさんたちに久しぶりに再会することができてとても嬉しかったけれど、震災から3カ月以上も経った今でも避難所にいらっしゃることは、生活上さまざまな不便もあり、どうなのだろうと考えました。

 

しかし、なかには、震災後にひとりになってしまい、「引っ越したくない、みんなと一緒にいたい」とおっしゃる方もいました。

 

改めて、「避難所から引っ越したら、それで支援は終わり」ではないと思いました。今後もなにかしらの形で、東松島の避難所で出会ったお年寄りの方や地域の方をつなげる活動をしていきたいと思います。

 

 

 

~4日目~

 

【午前:床下の泥だし】

 

この日は、CFFの皆が帰ってしまった後だったので、私は個人のボランティアさんと一緒に活動しました。CFF以外のボランティアさんとお話ができたとても貴重な時間でした。

 

ボランティアさんのなかには、お仕事を休まれて休暇をとって来てる方、車とフェリーを乗り継いで2日近い時間をかけて来られる方、また1カ月以上テントで生活をしながらボランティアをなさっているベテランボランティアさんの方もいました。ここに来た理由をお聞きしたところ、「人間はみな助け合いだから」とおっしゃる方や、「両親が宮城に住んでいて、心配だから仕事をやめて宮城に帰ってきた」とおっしゃる方もいました。

 

 

 

日本全国から沢山の方が東松島に集まり、東松島の復興のために多くの力が集まっていることを知り、ただただ純粋にすごく嬉しかった瞬間でした。

 

 

 

【午後:全壊の家の中の整理】

 

午後のお家は、全壊の状態。家の中にあるはずのないものが沢山ありました。遠くの酪農から流されてきたワラが大量にありました。10人の方と作業をしていたこともあり、わりとスムーズに片付けられましたが、それでもやはりすべてをきれいにすることができないほどでした・・・

 

 

 

 

 

~全体を通して~

 

私は5月のGWの第3陣にも参加していて、その時に比べると片づけの作業はだいぶ進んだように感じます。作業内容は家財の運び出しや泥だしから、床下の泥だしや、仮説住宅への引っ越しのお手伝い(今回はなかったけれど)へと移行していました。

 

しかし、これはあくまでも素人のボランティアにできる仕事が減っているというだけであって、まだまだ瓦礫の山が手つかずで、津波の被害がそのまま残っている地域もたくさんあります。

 

 

 

たけしが言っているように、これからは短期的な片づけの作業というよりも、被災地の方のコミュニティづくりなど、細く長い支援が必要であると思います。

 

 

 

 

 

しかし、いずれにしろすごく感じることは【被災地に行ってほしい】ということ。

 

この想いは第3陣のときからずっと変わりません。

 

 

 

CFFとして東松島で活動を始めて約2カ月、CFFを通して現地に来た人は【約50人】この数字は果たして多いといえるのだろうか・・・

 

 

 

CFFにたずさわってきた方は【2000人】以上います。

 

 

 

もっともっと多くの方の力が必要です。

 

 

 

宮城は、車でたったの6時間でした。距離の問題ではないけれど、伝えたいのはつながっているということ。

 

 

 

私たちが震災以降もほとんど不自由なく暮らしているすぐそばでは、家を失い、大切な人を失った人が沢山います。

 

 

 

現地に行かないと分からないことが沢山あります。

 

もちろん、現地に行くことが全てではないし、現地に行くことがゴールでもないと思うけれど、私のなかに今ある【心の想い】は、実際に現地に行かなければ、決して得られなかった【想い】です。

 

 

 

私は今回東松島に行くまでは、「自分は、被災地支援は東松島に限定しなくてもいい」という思いもありました。でも今は違います。東松島に会いたい人が沢山います。(とはいっても短期で行っていたので、沢山と言えないかもしれないけれど)

 

私にとって東松島市は被災地ではなく、東松島市です。

 

 

 

勝手な想いなのかもしれませんが、これからも東松島にたくさんの笑顔が増えたら自分はすごく嬉しいです。

 

 

 

これからの被災地支援のあり方をまたみんなで考えていきましょう。

 

 

 

【つなげよう、つづけよう】

 

 

 

 

 

 

 

ゆう(65,67

 

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2011年7月 1日 (金)

東松島市の状況

 CFFが活動を続けてきた東松島市、隣町の石巻市や壊滅的なダメージを受けた南三陸町に比べ宮城県の中ではフォーカスされることの少ない東松島市ですが、以下にまとめた通り、今回の震災/津波により多大の被害を受けています。

■被災状況

●死者:1,038

●行方不明者:149

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●全壊:2,133

●半壊:4,160

*前回半壊合わせると市内全戸数の1/3以上に及ぶ

201103110008

●避難所数:47箇所

●避難者数:1,967

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■それぞれの被災

そして被害はこういった数値だけでは表せない多くの被害が震災を経験したひとりひとりの人生に刻みこまれています。

かつてない大震災により町を襲った大津波。地震の直後学校の体育館に肩を寄せ合っていた人たちがいました。そこは当然津波が来るような地区ではなくハザードマップでも指定避難所とされていて、宮城県が過去経験した震災でも津波が来たことのない地区でした。

 多くの人たちが避難するなか津波がその学校の体育館を津波が襲いました。水圧によりドアが閉ざされ、扉を開け逃げ出すこともできず、それでも水はどこからともなく体育館に入り込んでいき、みるみるうちに体育館は水でいっぱいになり、激しく渦を巻きはじめ、たくさんの人たちを飲み込んでいったそうです。

 それぞれの家庭でも逃げられなかった人、逃げ遅れた人、逃げなかった人、逃げ切ったたちが津波の被害に合いました。

 家もろとも流されてしまった人、1階にいて家は持ちこたえたものの天井まで襲い掛かる津波のなか必死にもがき生き延びた人、生き延びれなかった人、2階でなんとか津波をやり過ごした後1m以上浸水する町の中、水をかき分け、浮かぶたくさんの遺体をかき分け子どもを抱えて避難所まで歩いた人、車で逃げたがために身動きが取れなくなりそのまま津波にのまれた人、電車の中にいて電車ごと波にのまれた人。

201103110015

■復興に向かって

ただこういった多大な被害を受けた中、少しずつですが東松島市は復興に向かっています。現在までに東松島市災害ボランティアセンターではCFFの長期ボランティアを含む多くのボランティア運営スタッフに支えられ、平日は300人以上、最も多い土曜日は800人以上ものボランティアさんに来てもらっています。

3ヶ月が過ぎそのおかげで個人宅での片付けはどんどん進み、市民の方からの依頼も少しずつ減ってきました。最初は家の中の泥かきや、冷蔵庫、テレビ、タンス、畳の運びだしなどが多くありましたが、現在は泥をかき出した後の家の中の清掃作業や床下の泥だしなど仕上げの様な作業が多くなってきました。作業が進んでいる証です。

さらに市が出した計画では避難所にいるほとんどの人が仮設住宅に移り、7月中には1600世帯が仮設住宅への移転を完了させ、すべての避難所が閉まる計画です。

これからの支援活動はいままでのように現地に来られる人をどんどん被災地に送り込んで、マンパワーで解決していく方向から。仮設住宅での生活支援を中心に細く長い支援が必要になっていきそうです。

こう聞くと復興が近いように聞こえますが、現状ではボランティアで対応できる範囲の片付けが減ってきただけで、畑などに残る大きな瓦礫や、全壊した家々、壊れた船、これらは重機を使ってやる作業が残り、町並みはまだ震災の傷跡が見えています。

瓦礫が片付いた町が色づくまでは何年もかかるでしょう。仮設住宅での生活はおそらく何年も続きます。できる限り、CFFが東松島市に、そしてここに生きる人たちに少しでも長い間寄り添っていければと思っています。


■□■□■□CFFでは活動支援金を集めています■□■□■□■□■

少しでも早く本当の意味での「復興」に東松島市が近づいていけるよう、

そのためにCFFが地元の人たちと共に歩み続けられるよう

ご協力お願いいたします。詳細はコチラまで

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

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2011年6月30日 (木)

被災地駐在員が変わりました

4月26日より被災地支援活動担当職員として東松島市に駐在していました。石井丈士です。

6月30日に被災地担当職員としての役割を終え東京に戻ってきました。これからは長友由貴が後任として、役割を引き継いでくれます。

 

3月31日にフィリピンから帰国して4月に宮城県に飛び込み、導かれるように東松島での活動がはじまり、東松島の人たちと出会い、5、6月は地元の人たちと全国からの熱い思いを持ったボランティアたちとむしゃらに走り抜けた日々でした。

被災した人たちの抱えるものの重さ、傷、思いそして崩れ去った家、街に自分の無力さを感じた日々でした。

それでも僕の力は東松島の人たちと共にあれたことから湧いてきました。

いまは東松島で出会えたすべての人たちと、これまで活動を支えてくれたみなさんに対して「ありがとう」の言葉しかありません。

これからの被災地支援活動は繊細でさらに難しくなると思われます。そんな状況の中熱い思いをもった元上海の幼稚園の先生、カポエラの申し子、長友由貴が走り回ってくれることでしょう。

被災された方たちの苦悩はまだまだ続くことでしょう。だからこそ、長友由貴が被災地の人たちによりそい、その人たちの目線で活動を続けてくれることでしょう。彼女はそんな人間です。

最後にそんな彼女からのあいさつをのせておきます。

はじめまして長友由貴です。

この度、たけしの後任として、
CFF被災地支援活動・職員として働かせて頂くことになりました。

第11陣と一緒に、25日(土)から現地入りしています。

CFFとして、“継続”していける活動の基盤作りをしたい。
東松島市で出会った人たちの復興のために、CFFのパワーを活かしたい。
それを活かす場所を創り出せるように、自分を役立てたいと思います。

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最後に東松島市の社協のみなさんと

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