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2011年11月13日 - 2011年11月19日

2011年11月17日 (木)

19陣活動報告

 宮城県東松島にある野蒜小学校では1029,30日に復興祭が行われました。私たち19陣のメンバーは復興蔡の中でバナナ春巻きを作り、お祭りに来た人たちに食べてもらいました。

参加したメンバーは

ゆか(59)、福田さん(CFF応援者)、みの(hc5)、さーや(mst3,L, pst,短期ボランティア受付)、しょうま(70)、あきら(m13,17L)、ちろ(66,m17,78L)、どう(m7,64)です!!

 活動内容

 初日は夜遅い時間に小金井荘に到着し、活動はせずに就寝しました。

 翌日は朝の早い時間に学校へ行き、バナナ春巻きの仕込みをしました。春巻きはバナナだけのものとバナナに細かく砕いた板チョコを加えたものの2種類。お祭りが始まるまでに900個のバナナ春巻きを用意することが出来ました。

 11時が過ぎてバナナ春巻きを揚げ始めるとさっそくお客さんが来てくれました。バナナ春巻きを知らない人が多かったためでしょうか。CFFの 模擬店にできた行列はラーメン、唐揚げの大行列ほどではありませんでした。しかしお客が途切れることはほとんどなく、お客さんが持っていく春巻きの数に揚 げ上がる春巻きの数が追いつかないこともありました。バナナ春巻きの量や作るペースは決まっていますし、大量に作り置きしておくと冷めてしまうので、あの くらいの列の長さでちょうどよかったのだと思います。

 13時まえにはバナナ春巻きが無くなり、そのあとは余っていたバナナと小麦粉、水、砂糖を使って揚げバナナ(ピサンゴレン)を作りました。揚げバナナを食べてくれる人もたくさんいました☆

 14時にお祭りが終わり、16時 頃に被害が大きかった地域に車で向かいました。成瀬中学校の校舎は震災の被害で大部分が破壊していました。校庭には卓球用のボールやその他の運動に使う道 具が散乱していて、クラブ活動中に子供たちが地震や津波の被害に遭うところを想像してしまいました。学校のような日常の場所まで津波が押し寄せてくるなど 信じられないことです。被災された方々がどの様な思いを抱いていたのか感じとることができた気がしました。

  その後住宅地を見てきました。今でも建っている全ての建物は破損していて、区画整備された土地の上には建物の残骸が無数にありました。そのような光景を見 ていると、災害に対する人間の無力さを知ると同時にやはり被災地にはたくさんの人の力が必要なのだということを実感しました。

今回の活動はお祭りへの出店ということで、やはりお祭りでは一人ひとりが楽しむことが大切なのでそのような意味では成功だったと思います。自分個人の反省点として、お祭り準備と片づけの手際が悪かったです。ごめんなさい。

被災地に行ったのはいいけれど活動の後で自分に何が出来たのだろうと思うことがあります。一人ひとりの力は小さなものかもしれませんが、それぞれが自分にできることを悩み考え、考え抜いて出た結論を行動に移すことで問題は少しずつ解決していくのだと思います。

しょうま

感想

 事前準備不足だった。何から何まで人任せで主体性に欠けていた。自分が今いる場所がどういう場所なのか、もう少し自覚を持って来るべきだった。

どう

私たちが作るバナナ春巻きを、たくさんの人が列を作って食べてくださいました。10月とは言え少し肌寒く、さらに慣れない作業で春巻きが完成せず、なかなかうまく渡せることができませんでした。

でも、待っている間、私が「こんにちは」と笑顔で声をかけると、地域の人みんなが、「こんにちはー、これ、なぁに?」と、笑顔で声をかけてくれたのです。

私にできることはないか、と思って参加した被災地支援。しかし、私は逆に地域の人たちから「笑顔で人と向き合うことの大切さ」を学びました。

普段の生活で、挨拶を交わすことがあっても、いっぱいの笑顔ですることはほとんどない。

東松島であの時出会った人とは、一回きりしか言葉を交わさないかもしれない。

でもその一瞬を、地域の人たちはとても大切していて、その出会いに感謝を持って接することの大切さを私に伝えてくれたような気がしました。

ほんのささいな出来事かもしれません。でも私には、とても感動的な出来事として、今でも心の中に残っています。

「心」の支援、そしてつながり。

途切れることなく続けていきたいと強く感じた二日間でした。

ちろ

1718陣と続き、再び東松島にやってきました。

今回はイベントの炊き出しです。

”野蒜復興際”

半年前はまさか野蒜でお祭が出来るとは、思っていませんでした。

5月初旬は道路のガレキが撤去された状態で、ほとんどが手付かずのまま・・・

当時に比べかなり片付きましたが、復興はほとんど進んでいない様子です。

小学校の周辺には一部住宅がありますが、海側は流失家屋が多く、市によって集団移転が推進されています。

その野蒜地区にある小学校がお祭の会場です。

当日はおよそ2,000名が来場しました。

現在この地区の居住者はわずかであり、多くは仮設住宅から訪れています。

そんな中、我々はCFFが得意とする「バナナ春巻き」を提供しました。

なるべく多くの方に配布できるように、販売時より小ぶりです。

一部材料が不足し最後はバナナ揚げになりましたが、無事炊き出しを終えることが出来ました。

他は主食の炊き出しが多かったので、思ったより好評でした。

19陣は参加人数が足りていたので、私は追加の買出しなど会場内を行き来していました。

その際あちこちで、再会を喜び合う住民の姿を目にしました。

あの日以来会えなかったのか、抱き合う光景もありました。

また野蒜小生徒が、力強い太鼓の演奏を披露してくれました。

発表の場が減る中で地元住民を前に演奏出来たことは、彼らの心にも残ると思います。

他にも成瀬二中のジャージを着た生徒を見かけました。

彼女たちは校舎に入り、教室などを隅々まで見ていました。

当時ここに避難していたのでしょうか。

個人的にも懐かしい顔に出会いました。

彼は地元の方で、ボランティアに来ていた人です。

私が長期スタッフでボラセンに入った初日、初めて出た現場で一緒に作業をしました。

当時は職を失いボランティアに来ていましたが、今は臨時職員となり仮設住宅で生活支援相談員をしています。

数日前から会場の設営を手伝っており、当日はお祭の様子を見に来ていました。

社会の中心となる世代がこのような形で職を得たのは、私にとっても本当に嬉しい事です。

今回のイベントを通じて日々の支援も大事ですが、一同に集まる機会を作るのも大切だと思いました。

少しづつではありますが、時間の経過と共に前に進んでいると感じています。

これからも復興支援に携わって行きたいです。

たかし

今回は野蒜小学校の校庭で行われた復興祭で、バナナ春巻きを作りました。仕込みは野蒜小学校の教室を借していただいて行ったのですが、階段を登るとき、ふ と目をやると そこには、泥だらけになって積まれているファイルがありました。恐らく、生徒たちが授業などで使っていたものだと思います。 それを見て、3月11日まで、確かにそこにいつもと変わらぬ日常があったこと、そんな当たり前のことに改めて気づきました。そして、その日常を一瞬で飲み込んでいった津波の恐ろしさを強く感じました。  

それまでもニュースや新聞で被害の状況は何度も目にしてきましたが、その土地に立ち、自分の目で見て初めてそこにあった日常に気付かされました。 それと同時に、いつもと変わらず過ごしていたこの小学校の子どもたちは、3月11日、この場所でなにを見たんだろう、なにがあったんだろう、ということを思い、胸が苦しくなりました。

 震災から早半年以上。あんなにたくさん流れていた震災の報道も徐々に減り、もう過去のことのような雰囲気まで感じます。 震災は、3月11日まであった日常を一瞬にして奪いました。しかしそれで終わりではなく、そこに暮らしていた人達は今もそこで暮らしています。3月11日からずっと続く時間の中で、過ごしています。

 震災は決して3月11日のその一点のことだけではない。当たり前のことですが、それを忘れずにこれからも繋がっていきたいと思います。 

みの 

撮影:あきら

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