現地駐在職員の活動

2012年1月 8日 (日)

東松島担当後任の金須です!

はじめまして!

先日、ゆきから紹介預かりました! きすです!

23陣のみんなとは一足先に顔合わせさせてもらいました!「赤井復興祭」に参加した陣のみんなも覚えてるかな?ひそかに手伝いさせてもらってました。

さて、私は宮城県の出身ですが自宅は山沿いの方だったので津波の被害はありませんでした。

同じ宮城県の、車で一時間たらずの場所でこんな災害が起きていることにはじめは実感がなく、ラジオから流れるニュース、津波情報も現実とは思えなかったです。

電気が通り、テレビが見れるようになってだんだんと実感がわいてきて、それと同時に「何かできないか?」という気持ちも生まれてきました。

そんな気持ちではじめたボランティアの中でCFFに出会い、みなさんと一緒に活動していけることが、とても嬉しく感じています!

これから東松島担当として駐在させてもらいますが、みなさんと連携して、より良い支援を行えたらと思います!

よろしくお願いします!

NPO法人CFF 東松島市復興支援担当 金須 健

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2011年12月24日 (土)

〔東松島市駐在職員〕退任のご挨拶

わたしは今年6月から東松島市中央サポートセンター(~8月 東松島市災害ボランティアセンター)に駐在し、運営サポート・仮設住宅でのサロン活動(お茶会・お菓子作り・花植えなど)に携りながら、CFFのみんなと一緒に活動してきましたが、
今年いっぱいで、CFF東松島市復興支援活動担当職員を辞することになりました。

あらためて本人からご挨拶致しますが、
5月からボランティアセンターで一緒に活動していたきすちゃんに、後は託したいと思います。
彼は、宮城県大郷町というところの人で、今回の震災を機にボランティア、社会活動について初めて深く考え、そこに自分の力をそそいでいこうと決心し、行動してきた人です。

さてさて、来年からはどんな活動ができるのか。
CFFは東松島でこれからどんな出会い、気付きを得ていくのか。
これはこれはたのしみです。

しばらくは、東京事務局で現地のサポートや、ボランティア参加者のサポートをさせていただきます。よろしくお願いします。

東京でCFFのみんなや、宮城でなかなか会えなかった方々と会って、いろんな話をできるのがとーても楽しみ!です。

話したいことが、本当にたくさん!!

まだ終わってはいませんが、
ここまでCFFが東松島で無事、大きな事故もなく、
迷いながらも進んでこられたのは、現地で、または遠くから、いろいろなかたちで日頃支えてくださったみなさんのおかげです。

限られた時間の中、「いってみよう!」ってボランティアに参加したみなさん、
「何かできるかな?」って考え続けて、行動したみなさん、
そして時折東松島のこと、CFFの活動を思い出して祈ってくれたみなさん、応援してくれたみなさんのおかげです。

ありがとうございました。
そして、ここまでほんとうにおつかれさまでした。

東松島市で今年一年前進してきたみなさまが、

日本中の人々が、

そしてフィリピン、マレーシア、世界中の人々が

孤独ではなく、平和をこころに、あたたかいクリスマス、年越しをすごされますように。

NPO法人CFF 東松島市駐在職員 長友 由貴

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2011年7月12日 (火)

星に願いを

星で始まる、月並みなタイトルでごめんなさい。

七夕はすっかり過ぎてしまいましたが、CFFがいつもお世話になってる東松島市災害ボランティアセンター(以降災害VC)に七夕飾りをCFFの学生ボランティアたちが飾り付けました!

災害VCに2ヶ月いた私ですが、いつも気になってたのは東松島市の災害VCには遊び心というか、おもしろみというか、機能的な部分しか追い求めてない感じがなく「なにか欲しいな。」と思ってました。

起こったことはとてつもなく大きなことだし、悲しいことや、苦しいことが多かっただろうし、VCもいつも忙しいし、ドタバタしてる。だからこそそういうものが欲しいなと。

ということでこんな感じになりました!
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地元のボランティアの方たちはもちろん、遊びに来た子どもたち(東松島のVCには子どもが遊びに来るんですよ!)、県内・県外全国から、そして国外含め全世界から、みんなの願いごとがたくさん集まりました!

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ボランティア活動をしていると活動に執着しがちですが、こんなときだからこそ改めて自分の願いに思いをはせるステキな時間となったことを願っています。

CFF事務局 石井たけし

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2011年7月 1日 (金)

東松島市の状況

 CFFが活動を続けてきた東松島市、隣町の石巻市や壊滅的なダメージを受けた南三陸町に比べ宮城県の中ではフォーカスされることの少ない東松島市ですが、以下にまとめた通り、今回の震災/津波により多大の被害を受けています。

■被災状況

●死者:1,038

●行方不明者:149

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●全壊:2,133

●半壊:4,160

*前回半壊合わせると市内全戸数の1/3以上に及ぶ

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●避難所数:47箇所

●避難者数:1,967

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■それぞれの被災

そして被害はこういった数値だけでは表せない多くの被害が震災を経験したひとりひとりの人生に刻みこまれています。

かつてない大震災により町を襲った大津波。地震の直後学校の体育館に肩を寄せ合っていた人たちがいました。そこは当然津波が来るような地区ではなくハザードマップでも指定避難所とされていて、宮城県が過去経験した震災でも津波が来たことのない地区でした。

 多くの人たちが避難するなか津波がその学校の体育館を津波が襲いました。水圧によりドアが閉ざされ、扉を開け逃げ出すこともできず、それでも水はどこからともなく体育館に入り込んでいき、みるみるうちに体育館は水でいっぱいになり、激しく渦を巻きはじめ、たくさんの人たちを飲み込んでいったそうです。

 それぞれの家庭でも逃げられなかった人、逃げ遅れた人、逃げなかった人、逃げ切ったたちが津波の被害に合いました。

 家もろとも流されてしまった人、1階にいて家は持ちこたえたものの天井まで襲い掛かる津波のなか必死にもがき生き延びた人、生き延びれなかった人、2階でなんとか津波をやり過ごした後1m以上浸水する町の中、水をかき分け、浮かぶたくさんの遺体をかき分け子どもを抱えて避難所まで歩いた人、車で逃げたがために身動きが取れなくなりそのまま津波にのまれた人、電車の中にいて電車ごと波にのまれた人。

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■復興に向かって

ただこういった多大な被害を受けた中、少しずつですが東松島市は復興に向かっています。現在までに東松島市災害ボランティアセンターではCFFの長期ボランティアを含む多くのボランティア運営スタッフに支えられ、平日は300人以上、最も多い土曜日は800人以上ものボランティアさんに来てもらっています。

3ヶ月が過ぎそのおかげで個人宅での片付けはどんどん進み、市民の方からの依頼も少しずつ減ってきました。最初は家の中の泥かきや、冷蔵庫、テレビ、タンス、畳の運びだしなどが多くありましたが、現在は泥をかき出した後の家の中の清掃作業や床下の泥だしなど仕上げの様な作業が多くなってきました。作業が進んでいる証です。

さらに市が出した計画では避難所にいるほとんどの人が仮設住宅に移り、7月中には1600世帯が仮設住宅への移転を完了させ、すべての避難所が閉まる計画です。

これからの支援活動はいままでのように現地に来られる人をどんどん被災地に送り込んで、マンパワーで解決していく方向から。仮設住宅での生活支援を中心に細く長い支援が必要になっていきそうです。

こう聞くと復興が近いように聞こえますが、現状ではボランティアで対応できる範囲の片付けが減ってきただけで、畑などに残る大きな瓦礫や、全壊した家々、壊れた船、これらは重機を使ってやる作業が残り、町並みはまだ震災の傷跡が見えています。

瓦礫が片付いた町が色づくまでは何年もかかるでしょう。仮設住宅での生活はおそらく何年も続きます。できる限り、CFFが東松島市に、そしてここに生きる人たちに少しでも長い間寄り添っていければと思っています。


■□■□■□CFFでは活動支援金を集めています■□■□■□■□■

少しでも早く本当の意味での「復興」に東松島市が近づいていけるよう、

そのためにCFFが地元の人たちと共に歩み続けられるよう

ご協力お願いいたします。詳細はコチラまで

 

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2011年6月30日 (木)

被災地駐在員が変わりました

4月26日より被災地支援活動担当職員として東松島市に駐在していました。石井丈士です。

6月30日に被災地担当職員としての役割を終え東京に戻ってきました。これからは長友由貴が後任として、役割を引き継いでくれます。

 

3月31日にフィリピンから帰国して4月に宮城県に飛び込み、導かれるように東松島での活動がはじまり、東松島の人たちと出会い、5、6月は地元の人たちと全国からの熱い思いを持ったボランティアたちとむしゃらに走り抜けた日々でした。

被災した人たちの抱えるものの重さ、傷、思いそして崩れ去った家、街に自分の無力さを感じた日々でした。

それでも僕の力は東松島の人たちと共にあれたことから湧いてきました。

いまは東松島で出会えたすべての人たちと、これまで活動を支えてくれたみなさんに対して「ありがとう」の言葉しかありません。

これからの被災地支援活動は繊細でさらに難しくなると思われます。そんな状況の中熱い思いをもった元上海の幼稚園の先生、カポエラの申し子、長友由貴が走り回ってくれることでしょう。

被災された方たちの苦悩はまだまだ続くことでしょう。だからこそ、長友由貴が被災地の人たちによりそい、その人たちの目線で活動を続けてくれることでしょう。彼女はそんな人間です。

最後にそんな彼女からのあいさつをのせておきます。

はじめまして長友由貴です。

この度、たけしの後任として、
CFF被災地支援活動・職員として働かせて頂くことになりました。

第11陣と一緒に、25日(土)から現地入りしています。

CFFとして、“継続”していける活動の基盤作りをしたい。
東松島市で出会った人たちの復興のために、CFFのパワーを活かしたい。
それを活かす場所を創り出せるように、自分を役立てたいと思います。

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最後に東松島市の社協のみなさんと

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2011年5月25日 (水)

お風呂に入れる喜び

震災から2ヶ月半が立ちいまだに続く避難所生活…その中で大変なのはひとつがお風呂・シャワー。

基本的に避難所にはお風呂やシャワーはない。シャワーがあったとしてもお風呂はまずない。東松島市でそういった避難所生活をしている人たちはお風呂をどうしているかというと1週間に1度、自衛隊が無料送迎バスを出して市内にある自衛隊基地のお風呂に連れていってくれたり

「松島や あぁ松島や 松島や」で有名な松島を臨むホテルが自衛隊同様、無料送迎バスを出してお風呂までご招待を1週間に1回しています。

が、正確には「していました」で先週くらいにはその支援も終了しました。だから、多くの人は近隣の銭湯などに車で通っています。車がある人は良いけれど、車が流されてしまった人や銭湯苦手な人もいます。

そんな状況の中、災害ボランティアセンターの電話が鳴りました(毎日半端じゃないくらい鳴ってますが)。

福岡の福永博建築研究所さんがコンテナを改造したお風呂を作っていて、それを被災地に置きたいとのこと。良く良く聞いてみるといま市役所の前にいるとのこと。

それならばと直接会って話してみることに…するとNHKニュースにもとりあげられてくらい、かなり本格的でした!

しかもすべて寄与で設置から、終了後の撤収までしてくれるとのこと。

すごい!これは市内に置いてもらはない手はない!と思い。いくつかすでに訪問していて情報を得ていた避難所の中から、候補を選び抜きすぐに訪問することにいしました。

そのまま話は進んでいき5月23日東松島市の小野市民センターにお風呂が届きました!

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やってきました。クレーンでつられています。設置も大がかり。福岡から4日間かけてやってきたとそうです。東松島のみなさんのために、全力を注いでくれて本当に感謝です。

ただ設置は困難を極めて、最後には近くに駐留していた自衛隊さんの力を借りました。

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自衛隊の力はすごいですね。

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元からあった渡り廊下用の屋根だったんですが、ばっちり屋根の下にはまりました。

そして、設置の様子や設置後実際に使用する避難されてる方たちの様子もNHKで取材されました。詳しくは福永博建築研究所さんのホームページをご覧ください。

NHKニュースの様子はこちらからどうぞ!

避難所で生活する人たちの喜びの声が聞こえます。

本当にこうして全面的に支援してくれる企業さんの力に感謝です。これから他企業さんなどから協賛が取れるようであれば2基、3基と進めていってくれるそうです。

ちなみにこの日は自衛隊の部隊の撤収でこのお風呂プッシュが最後の仕事になったみたいです。

自衛隊さんは被災直後から2ヶ月以上毎日炊き出しを続けてきました。どんな組織であれその貢献度は確かなものです。避難所の方たちも涙していました。

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CFF被災地支援活動担当

石井丈士

■□■□■□CFFでは東日本大震災支援金募金を集めています■□■□■□■□■□

わかものたちによるボランティア活動を細くても線の長い活動を続けていけるよう。

また地元の人たちと共に歩み続けられるようご協力お願いいたします。

詳細はコチラまで

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2011年5月 1日 (日)

災害ボランティアセンターに仲間入り

宮城利府町でひとりぼっちのたけしです。

先週木曜日より東松島市災害VC(ボランティアセンター)の運営のお手伝いとして宮城に入らせてもらいました。

災害VCのみなさん暖かく受け入れていただきありがとうございます。

これからしばらくここの災害VCを活動拠点にして、活動を少しずつ広げていきたいと思っています。

この災害VCに入りながら一方でCFFとしてやっていきたいことは主に3つ

1、運営サポート
多くの災害VCがたぶんそうなんですが、一番足りてなくて一番欲しいのは災害VCの運営サポートボランティアなんじゃないかと、それを運営に携わりながらひしひしと個人的に感じています。

現在の災害VCの主な活動は
直接災害VCに来ていただいた市民の方、もしくは電話によって、あがってくる家の片づけとか泥だしとかのニーズ対応です。ニーズが来てそれに対してボランティアを派遣するんですね。

ただその件数も膨大で現在述べ1500件を超えています。さらにボランティアさんも1日に300人以上来ていて、それをうまくボランティア先に振り分けてコーディネーションしていかないといけないんです。それだけで1日のほとんどがつぶれます。

ただたくさんの市民の方からのニーズがあるのに対して、ボランティアがたっくさん来てくれることはうれしい悲鳴です。

明日からはCFFからボランティアが一人10日間災害VC運営の方に入ってくれます。

2、CFFのボランティアコーディネーション
災害VCに入りつつ、CFFからもボランティアの受け入れをします。
その中でなるべくCFFの人たちがしっかりとボランティアに入って行けるようコーディネーションをします。
まずは泥だしなどすでに災害VCで基盤ができていて入りやすいところで確かにニーズがあるところに入って行きます。

そして、さらに「子どもたちのケア」や「お年寄りのケア」など現在進んでいるCFFの活動もコーディネーションを進めボランティアによる活動として広げていきます。

ちなみに!

5月5日には東松島市で実施される子ども広場というイベントに参加予定です☆

そして、上記の2つに加えこれは個人的な意見ですが

3、市内での活動の拡大
現在はなかなか手の届いていない炊き出し、子どもたちの心のケア、お年寄りの生活サポート、避難所…などなどとにかく市民の生活や心を復興させる活動を広げることです。

NPO/NGOをはじめたくさんの団体が様々な活動をしています。もちろんCFFもそのひとつ。

ただニーズをひろいあげるところから初めて、コーディネーションを進めて活動をしてくれる団体はなかなかいません。だから、そこでニーズと活動のマッチングをできたらと考えています。

ただ現実問題いまはゴールデンウィークでかなりがっつりボランティアの方に来ていただいていて、そことニーズのマッチングでいっぱいいっぱいになっている状態です。。。

それでもそこだけにとどまらないように必要とされている部分で力になりつつも、CFFとしても前に進んでいければと思っています。

ちなみにいま僕が生活の拠点としてるのは利府町のグランディというところ野球場とかコンサート会場とかあってこっちだと結構有名みたいです。有名アーティストのコンサートとか良くここでやってたみたいで…でもいまはそのコンサートやってた会場が津波で被害に合われたかたたちの遺体安置所になってるそうです。

喜びや幸せ、笑顔に包まれる場所がいまは悲しみに包まれる場所となってしまったと思うとなんとも言えないし、この震災が与えた被害というのは本当にどこまでも哀しくも広がっていることがわかります。

僕がいま拠点としてるのは同じ敷地内にある合宿所。隣接はしていないし、敷地が広いのでどこにあるか良くわからないですが、近くにあると思う とお悔みの気持ちというがそんな思いが強まったり…少し怖い思いもありますが、いまは拠点がここしかないのでここでがんばろうと思っています。

ちなみに1泊2000円です。1泊なら安いですけど、1ヶ月いるとなると6万円なんでちょっと考えものですね。まだ1ヶ月いるかはわかりませんが、また良いところがあれば移りたいですね。

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2011年4月20日 (水)

被災地に行っていま思うこと

宮城に滞在すること4日間。たくさんの出会いがありました。 

東松島市災害ボランティアセンターにいた高校生たち。彼らは毎日そこに通い。センターの運営や家の泥かき、瓦礫片づけを手伝っていました。

新高校3年生の男の子が僕に話してくれました。

「活動の時間は午前2時間、午後2時間と決められる。たった2時間しかないから被災した家の人たちのためにも2時間全力を尽くしたい。」

彼らもまた被災地に住み、少なからず被災しています。

 

石巻で出会った「ブレーメンの遊び隊」のエディさん(日本人)。ハワイ在住で家族もいるけれど、家族をおいてボランティアをするために日本に一時帰国したそうです。エディさんは子どもたちを相手に紙芝居をしながら避難所や施設を回っていました。エディさんは、僕らに子どもたちの痛みを目に涙を溜めて伝えてくれました。

 

「いま子どもたちの本来持つ「希望の光」が失われてる。子どもたちの中に光がない。だから、誰かが光をつけてあげないといけない。親はいまそれができる状態じゃないから。」

 

そして保育園で出会った子どもたち。どこかまだ心が満たされてないような、曇ってるような印象を受けたけれど、出会えて僕が幸せをもらいました。「被災地にもこんな笑顔があるんだ。」と。

保育園の先生は涙ながらに「地震のあと子どもたちのこんな甲高い声を聞けたのははじめたでした。ありがとうございました。」と感謝の思いを伝えてくれました。

若い先生たちが言っていました。

「いま私たちの生きる力はこの子たちです。」

先生たちも被災者で家が半壊したそうです。

 

彼らをいまでも恐怖におとしめる地震が心から憎くいです。子どもたちと出会い「もう再び地震が彼らの笑顔を奪わないでほしい。」と願ったその日の夜、また余震がありました。

すぐに浮かんだのは子どもたちの顔でした。

 僕らにできることはなんでしょう?

 まだ15万人の人が避難所で暮らしています。いつまでも泥だしなどの作業が進まない家、全壊した家、帰るところがないけれど学校がはじまり、避難所を出ていかなければなりません。

いったいどこへ行けば良いのでしょうか?仮設住宅もまだ10%程度しか着工に入っていません。家だけではなく多くの人が仕事を失いました。仕事がなければどう生きていけば良いのでしょうか?

 

そして、そんな苦しみの中でいつも一番最後にされてしまうのが子どもたちです。

 

僕らにできることはなんでしょうか?ひとつでもやれることがあるなら、そのひとつ、未来を信じてやりましょう。

それが「子どもたちの未来のために」土を削ることから、石を運ぶことからはじめて、CFF15年間続けてきたことだから。

一緒に考えましょう。一緒に動きましょう。

CFF 石井丈士

■□■□■□CFFでは東日本大震災支援金募金を集めています。■□■□■□■□■□

一人でも多くの被災者の力になれるよう。ご協力よろしくおねがいいたいします。

詳細はコチラまで

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